時間の流れは過去が先か、未来が先か。映画「KNOWING」

みなさま、こんにちはー。

先日大好きなAmazonで映画「KNOWING」を購入しました。

ニコラス・ケイジ主演の映画。

とても面白かったです。


物語は50年前、ある小学校の記念イベントとして、

小学生が未来の様子を想像した絵を描いて

それをタイムカプセルと名付けた缶に入れて小学校の地中に埋めます。

50年後、現在通っている小学生がこのタイムカプセルを開けて

中の絵を取り出します。


ニコラス・ケイジの息子が手にしたのは絵ではなく奇妙な数字の羅列。

実はこの数字はこれから起こる大災害の日付と死者の数を示しているのでした。。。


ニコラス・ケイジはMITの宇宙物理学の教授の役でして

彼の授業の中で「決定論とランダム理論」というものが出てきます。

決定論とは映画の中の言葉を引用すると

人生の出来事はすべてあらかじめ決まっているということだそうです。

反対にランダム論は宇宙も生命の存在もすべて偶然に生じたもので

我々が存在するのは科学的偶然が何度も重なったことと

突然変異の産物であるということだそうです。


私は人生が変わるまで、ランダム論を信じていました。

原因があるから結果が決まるのだと思っていました。

「努力したから今がある」みたいな感じでね。すごくおこがましいけどW


でも色々な不思議な体験を経て、実は人生はあらかじめ決まっているのだ

ということがわかりました。

もちろん結果が決まっていても努力は必要。堕落してはダメ。

あらかじめ決まった結果というものは程度の大小はあれ、

必ず魂が喜ぶものが用意されているのだと知りました。


そして自分の力で生きているのではなく、「生かされている」んだなって気がつきました。


こういうことを書くと頭おかしいの?と思われそうなのですが

自分の経験したことがすごく人間の世界を超えていて、

5年間かかりましたがようやく私が置かれている立場とか

使命とか目的がわかりました。

どういう体験をしたかは追々お話しようと思ってます。

どうかドン引きされませんように。


ちょっと話はそれますが、以前テレビ番組で

聖書の時間の流れは過去から未来ではなく未来から過去に流れていると紹介していました。

つまり聖書は未来のことが書かれているという話でした。

その当時は「そんなアホなー。考えすぎでしょ。」と思っていましたが

今は聖書は預言の意味合いが濃いのかもと思っています。

これも広義の「未来が先にある」という考え方ですよね。


ものすごく余談なのですが、

私は「項羽と劉邦」が大好きです。

項羽は最終的に漢軍に突撃しますが、彼はこう叫びます。

「ここで私が滅びるのは天が私を滅ぼうそうとしているのであって、私が弱いわけではない」

いわゆる「天命」というものなのかな。

みんな等しく天命があると思うのでそれを全うすれば良い人生になるのかもしれません。


映画「KNOWING」はキリスト教の方の方が理解しやすいかもしれません。

こういうお話を信じるか信じないかは別として

単なるディザスタームービーとして鑑賞するのもオススメです。


ということで。

今日は雨降り。マターリ。

それではみなさま、素敵な土曜日を!



  






mimiとルビィ。

「情弱乙ベジタリアン」のプログラミング日記。 柴犬3匹を育てることに奮闘中。

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